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−目次−
工業の街としての歴史を紡ぐ「日鉱記念館」とは
茨城県日立市にある「日鉱記念館」は、日本四大銅山の一つ「赤沢銅山」から始まる鉱山の町としての歴史を紹介する資料館で、創業80周年となる1985年(昭和60年)に開設しました。
当時の実業家「久原房之助」により「日立鉱山」が開業され、わずか数年で日本有数の銅山に成長し、現在のJX金属グループに引き継がれています。
その鉱山跡地に建つ「日鉱記念館」では、日立市のシンボル「大煙突」に関する展示をはじめ、日立鉱山の歴史的な資料・世界の鉱石や実物の「鉱山機械」などを無料で見学する事ができます。
日鉱記念館「本館」の見どころ
メイン施設となる二階建ての本館では、鉱山と日立市の発展に関するさま様々な資料や展示があり見応え十分。
創業者である「久原房之助」や「JX金属グループ」についての展示をはじめ、日立鉱山の発展や鉱山町での暮らしの様子や「大煙突」の展示パネル、地下部分では「模擬坑道」などを見学できます。
JX金属グループの歴史
入場口より少し進むと、1905年(明治38年)に日立鉱山を開業した「久原房之助」の胸像が展示されています。
開業当初より近代化に注力し、他の鉱山から鉱石を買い入れる「買鉱製錬」を本格稼働させ、開業からわずか6年余りで、銅の生産量「全国第3位」を誇る鉱山に急成長しました。
「日立製作所」の誕生について
「株式会社 日立製作所」は、本山採鉱場付近にあった電気機械修理工場がルーツとなります。
日立鉱山 初代工作課長「小平浪平」の進言により、1910年(明治43年)に電気機械製作専門の工場が建設され、1912年(明治45年)に「久原鉱業所 日立製作所」となりました。
1920年(大正9年)に「久原鉱業」から独立して、「株式会社 日立製作所」が設立されたのがはじまり。
まるで「アリの巣」の様な、日立鉱山の坑道を模した「透視模型展示」。
坑道の最深部は、地表から地下950m・総延長は700kmという途方もないスケール感です。
模擬坑道
本館の地下部分には、当時の坑内の様子が再現されており、手掘りから機械掘りに至る採掘技術を実物の機器と人形を使用し紹介しています。
地階に降りる階段に気付きづらいため、「館内MAP」を確認して見逃さない様にしましょう。
日立鉱山の発展
日本屈指の工業都市「日立市」の原点である「日立鉱山」の発展の様子をパネルや模型展示で紹介しています。
鉱山町のくらし
鉱山町での生活水準向上のための様々な環境づくりや、「一山一家」といわれた独特の風土を当時の映像を見ながら学べます。
写真の右手にある映写機は、かつての「本山劇場」で使用されていた物です。
「一山一家(いちざんいっか)」とは
町から離れた不便な場所にある鉱山での生活水準向上のため、住居だけではなく学校や病院・鉄道・娯楽施設などといった環境づくりが行われました。そうした鉱山での生活の中で、従業員の間に一体感が生まれ「一山一家」と呼ばれ独特な風土が根付きました。
閉鎖された鉱山社会の改善のために「文化・スポーツ活動」が盛んに行われ、吹奏楽団・野球部・ラグビーなどは全国レベルの実力を有していました。
日立の大煙突
現在でも日立市のシンボルとして知られる「大煙突」の倒壊前の姿や、建設中の様子などを写真や映像で紹介しています。
鉱山創業時より、銅の錬成時に発生する「亜硫酸ガス」による公害問題に悩まされましたが、当時世界一の高さ(155.7m)を誇った「大煙突」を建設し煙害の減少に成功しました。
実物の「燻煙器」が展示されており、鉱山で発生した「亜硫酸ガス」が実際に農作物や森林に影響を与えるデータの収集や農事の改良を目的として使用されました。
映画「ある町の高い煙突」展示コーナー
2019年(令和元年)6月公開の映画「ある町の高い煙突」は、新田次郎の小説が原作で煙害防止のために建設された「大煙突」をめぐる人間ドラマで構成され、日立市を中心に近隣の市町で撮影が行われました。
久原房之助を演じた「吉川晃司」さんの衣装や、日立鉱山事務所に置かれた「石碑」や「看板」、サイン入りの台本などが展示されています。
なかでも、吉川晃司さんの衣装のサイズ感が非常に大きくてビックリしました。
JX金属グループの現況
2階フロアの奥では、JX金属グループの企業活動を映像とパネルで紹介しています。
「鉱山資料館」の見どころ
1944年(昭和19年)第2次世界大戦中に建設された「コンプレッサー室」を、そのままの状態で資料館として使用しています。
実際に鉱山で使われていた「大型コンプレッサー」「削岩機」などの機材や、世界各地で産出された「鉱石標本」が所狭しと展示されており、本館に負けない展示量となっています。
「旧コンプレッサー室」内部
鉱山で使用する削岩機をはじめとする機械類の動力源は、この「コンプレッサー」により作り出され日立鉱山の閉山まで稼働し続けました。
戦時中という、鉄骨材の入手が困難な状況下で、起重機走行用枠を木材で組み立て鉄骨同等の強度を得る事に成功した建設当時の状態を見学できます。
削岩機コレクション
159台もの「削岩機」が展示された光景に圧倒されます。
日立鉱山では、当初輸入品の削岩機を用いていましたが、後に小柄な日本人に適した削岩機を独自開発しました。
世界の鉱石標本コーナー
JX金属グループが参画していた世界各地の鉱山で産出された、約400種類の「鉱石」や「岩石」が展示されています。
「野外展示」の見どころ
日鉱記念館の屋外では、県指定文化財の「旧久原本部」や「巻揚機室」「竪坑櫓」などを見学する事ができます。
第一・第十一竪坑
手前にある「第一竪坑」は、日立鉱山開山直後の1906年(明治39年)に開削を開始、1981年(昭和56年)の閉山まで稼働しました。
また、奥にある「第十一竪坑」は、1951年(昭和26年)に開削を開始、それまでの竪坑とは異なり断面は円形で、坑壁を鉄筋コンクリートで支保されています。
「竪坑」とは、従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のことで、「ケージ」と呼ばれる乗り物に人や鉱物を載せて、巻揚機を使って昇降を行っていました。
電機機関車
「電機機関車十三号」と名付けられ、明治末期より1960年(昭和35年)まで、専用電気鉄道および製錬所内の輸送用に使用されました。(日立製作所 水戸工場に保存展示されていたものを移設)
自走式長孔さく孔機
採掘切歯で火薬を充填する穴を開ける重機で、2006年(平成18年)まで豊羽鉱山(北海道)で稼働していました。
フィンランドの専門メーカーが製造した、国内で最初に実用化された貴重な機体です。
巻揚機室
「第一竪坑内」のケージの昇降のための設備で、中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行っていました。
室内の設備は当時のままの姿で保存されており、このような状態を見学できるのは全国でも「日鉱記念館」のみという貴重な展示です。
「日鉱記念館」見学に最適なホテル・旅館
「日鉱記念館」のある日立市周辺には、観光はもちろんビジネス利用にも最適なホテル・旅館が数多くあります。
旅の目的に合わせて最適な宿をお選びください。
「日鉱記念館」の基本情報
利用時間
●9:00~16:00(入館受付は15:30まで)
定休日
●月曜・祝日、年末年始、10月第2週
入園料
●無料
※団体で観覧される場合は要予約。
「日鉱記念館」へのアクセス情報
電車を利用の場合
●JR常磐線「日立駅」よりバスで約25分
車を利用の場合
●常磐自動車道「日立中央IC」より10分
駐車場情報
●普通車 30台、大型 5台
【施設概要】
●施設名:日鉱記念館
●所在地:茨城県日立市宮田町3585
●URL:http://www.nmm.jx-group.co.jp/museum/