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−目次−
天下分け目の分岐点「小山評定」の舞台、小山市とは
栃木県南部にある小山市は、県内第二位の人口を誇る、古くから交通の要所として発展してきた街です。
江戸時代には、日本橋と日光を結ぶ日光街道沿いの宿場町として栄え、徳川将軍家と深い繋がりを持ちます。
市のキャッチコピーである「開運のまち」とは、歴史的な2つの道筋をつけた『開運の地』である事が理由となっています。
・一つ目は、この地で天下分け目の軍議「小山評定」が開かれたこと。
・二つ目は、鎌倉幕府の開府に道筋を付けた野木宮合戦で、小山政光の子「朝政」が活躍したこと。
史跡「小山評定跡」
小山市役所の敷地内には、市指定史跡 小山評定跡として「石碑」と「由来碑」が設置されています。
日本史上重要な軍議の一つとされる「小山評定」は、現在の市役所付近で行われたと考えられていますが、正確な位置は不明で分かりやすい正面玄関前に設置したという所でしょうか。
「小山評定(おやまひょうじょう)」とは?
1600年(慶長5年)9月15日に起きた、東西両軍20万の大軍がぶつかった天下分け目の大決戦で知られる「関ヶ原の戦い」。決戦前の7月24日「徳川家康」は、会津の「上杉景勝」を討伐するため、ここ小山に本陣を置きました。その際「石田三成」の挙兵を聞き、翌日25日「福島正則」や「山内一豊」の進言により、諸将を招集した軍議が開かれました。「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」その行方を決定づけた歴史的軍議が「小山評定」とされています。
【施設概要】
●施設名:史跡小山評定跡(小山市役所)
●所在地:栃木県小山市中央町1丁目1番1号
●アクセス:東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約25分、JR小山駅西口より徒歩約8分
●駐車場:小山市役所の駐車場を利用(無料)
近隣の「小山評定」関連スポットを紹介!
小山御殿(小山御殿広場)
小山市役所の北側には、「小山御殿広場」という芝生広場があります。小山氏の居城「祇園城」の御殿曲輪にあたる部分を公園として整備し、小山の歴史を学ぶ場であると共に、さまざまなイベントが開催され市民の憩いの場として親しまれています。
「小山御殿」は、徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として建てられました。広場の一角を色分けをしたインターロッキングや着色コンクリート舗装が行われ、建物配置や周囲に造られた堀や土塁などを平面に示し屋敷全体の規模感を把握できます。
発掘調査では、井戸跡や周囲に巡らされた堀跡、二重に築かれた土塁などの遺構が発見されました。広場に示された「小山御殿」の位置は、これらの遺構や絵図面などを重ねて推定された物です。また、「土橋」の銘が刻まれた硯(すずり)が発掘され、「江戸幕府小山御殿図」等に登場する、御殿番の土橋兵右衛門、久兵衛と関連があると考えられています。
【施設概要】
●施設名:小山御殿(小山御殿広場)
●所在地:栃木県小山市中央町1丁目1番1号
●アクセス:東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約25分、JR小山駅西口より徒歩約8分
●駐車場:小山市役所の駐車場を利用(無料)
須賀神社
小山市役所から南に徒歩5分程の位置にある「須賀神社」は、徳川家康が小山評定後に石田三成討伐の戦勝祈願を行った神社であると言われています。徳川将軍家の崇拝神社であったことから、日光東照宮を造営した職人によって制作された「朱神輿(あかみこし」が奉納され、栃木県の有形文化財に指定されています。
国道4号線沿いの境内には「小山評定」にまつわる石碑があります。小山評定があった祇園城跡は、市役所やその周辺にあたり神社境内で評定が行われたとする社伝が残ります。小山市としては「小山御殿跡地」を小山評定の場所と推定しており、議論の余地はありますが、距離も近いので両方回っておくのが得策です。
【施設概要】
●施設名:須賀神社
●所在地:栃栃木県小山市宮本町1-2-4
●アクセス:東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約25分、JR小山駅西口より徒歩約10分
●駐車場:駐車場あり(無料)
祇園城跡(城山公園)
小山市役所より北西へ徒歩6分程の位置にある「祇園城」は、鎌倉時代から室町時代にかけて小山を拠点に活躍した「小山氏」の居城一つです。徳川家康による会津征伐の途上、祇園城内に陣を張ったと言われています。江戸時代前期の短期間、「小山藩」が置かれ家康の側近である「本多正純」が藩主を務めました。
【施設概要】
●施設名:祇園城跡(城山公園)
●所在地:栃木県小山市中央町1丁目1番1号
●アクセス:東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約25分、JR小山駅西口より徒歩約10分
●駐車場:近隣の駐車場を利用
乙女河岸(小山乙女河岸歴史公園)
会津討伐の際、武器や兵糧を乙女河岸から陸揚げしました。「小山評定」後には、関ケ原の戦いに向かう徳川家康が反転し、乙女河岸から江戸に戻ったとされています。江戸時代に入ると「御用河岸」として、日光東照宮で使用する材木などが陸揚げされ物流の拠点として賑わいました。
現在では、思川沿いの一角が「小山乙女河岸歴史公園」として整備されています。乙女河岸の案内板をはじめ、東屋やトイレなどが設置され、川沿い散策の拠点としても利用できます。
【施設概要】
●施設名:乙女河岸(小山乙女河岸歴史公園)
●所在地:栃木県小山市乙女1878
●アクセス:東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約30分、JR間々田駅 西口より徒歩約20分
●駐車場:普通車 6台、身障者用 2台(無料)