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−目次−
小山市全域で親しまれる総鎮守、須賀神社について
栃木県小山市にある須賀神社は、1080年以上の歴史があります。藤原秀郷公が天慶の乱で戦勝を祈願し、それが叶ったため、940年に京都の祇園社から御分霊を招き祀りました。地元では「祇園さん」や「天王さま」として親しまれ、小山市全域や周辺地域を守る総鎮守として多くの人々に愛されています。
小山城、別名『祇園城』は、須賀神社に由来します。神社はもともと小山の北山(現 中久喜)にありましたが、1159~1160年に小山城の築城とともに現在の場所に移されました。
美しい四季の彩り
国道4号沿いにあるこの町中の神社は、広い境内と美しい表参道で知られ、歴史や文化を感じる小山市の代表的な名所です。
春の境内は、桜や梅、花桃が美しく咲き誇っています。
秋の境内では、燃えるような美しい紅葉が見事です。素盞嗚命(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)の三神を祀っています。
徳川家康ゆかりの神社
1600年7月、家康公は上杉景勝を攻めるため会津に向かいましたが、石田三成の反乱を知り、須賀神社で「小山評定」を開き、関ヶ原の勝利を祈願しました。この祈願が叶い、家康公から51石の社領が寄進されました。家康公の死後、日光東照宮の造営で豪華な朱神輿が神社に奉納され、徳川家から厚く尊崇されています。
須賀神社境内の見どころを紹介
境内には、美しい景観や小山の伝説「七ツ石(夜泣き石)」、樹齢800年以上の御神木「もみの木」など、歴史を感じる見所が多数あります。また、徳川家ゆかりの社宝「朱神輿」は神社会館に奉安されています。
須賀神社の表参道
旧日光街道から須賀神社までの約300mの石畳の参道には、イチョウやケヤキの木々、100基の灯籠が並び、風情ある景色が広がっています。この景観は「おやま百景」に選定されています。
秋になると、イチョウ並木が一斉に黄色に染まり、幻想的な空間を作り出します。
ニノ大鳥居・神門
国道4号線沿いには、檜でできたニノ大鳥居があり、参拝客を迎えています。
ニノ大鳥居の先には神門があり、門の左右には坐像が一体ずつ設置されています。
拝殿・本殿
神門の先には拝殿があり、その奥に本殿があります。940年4月、下野国の押領使であった藤原秀郷公が、京都の祇園社から「素盞嗚命(スサノオノミコト)」の御分霊を祀り、須賀神社を創建しました。
境内末社
本殿の裏の通路には、天照大神、菅原道真公、稲荷神社などの末社があり、様々な御神徳を授かることができます。
参道脇にある石鳥居
表参道と駐車場を繋ぐ石鳥居は、1653年に小山町の旦那衆によって建てられ、栃木県内で日光東照宮の4基に次いで2番目に古いものです。
藤原秀郷公顕彰碑
藤原秀郷公は下野国押領使で、須賀神社の創始者です。天慶の乱で平将門を討伐し、下野国の発展に貢献しました。その功績を称え、1992年にこの碑が建立されました。
昌木晴雄の碑
「昌木晴雄」は須賀神社の神職の次男で、武芸に優れ、勤王の志士として天狗党に参加しました。狗党の一員として挙兵し、大平山や筑波山を転戦しましたが、吉田村(現 水戸市)で敵に斬首されました。
御神木(モミの木)
拝殿の北側には、樹齢800年以上とされる御神木(モミの木)の切株があります。1936年に木が社殿に傾いたため、切り詰められ、覆屋が設けられました。
小山朝政・義政の碑
「小山朝政」は源頼朝に仕え、鎌倉攻撃を企てた志田義広を撃破するなど多くの武功を上げました。その子孫である「小山義政」は下野国守護となり、小山氏の全盛期を築きました。その後、鎌倉公方足利氏満に反乱を起こし、17年間続いた結果、小山氏嫡流は滅亡しました。
七ツ石(夜泣き石)
南参道の「七ツ石」は、元々小山城の庭石でした。1590年に小山城が陥落すると、敵が石を結城氏の城庭(現 茨城県結城市)に運びました。しかし、夜になると石が小山を恋しがって泣いたと伝えられています。結城の城主が石を小山に戻すと、泣き止んだそうです。
「御朱印」は須賀神社会館へ
「お守り」や「御朱印」は、須賀神社会館内の社務所(駐車場の奥)で授与しています。
入口から入って右手にある祈祷受付で「御朱印」をお願いできます。
スラスラっとシンプルで美しい字で仕上げていただき大変感謝です。「須賀神社」へのアクセス情報

電車を利用の場合
●JR小山駅(西口)より徒歩約12分
車を利用の場合
●東北自動車道 佐野藤岡I.C.より約30分
駐車場
●無料駐車場あり



























